有識者コラム

一般的食品と残留農薬のリスクについて

国立医薬品食品衛生研究所客員研究員畝山 智香子 氏

食品の安全性が話題になると、農薬が心配だという意見が常に出ます。農作物の害虫を駆除したり雑草を枯らしたりする農薬は人間にも悪影響があるのではないか、そんな農薬が少しでも残留する野菜や果物を食べるのは危険なのではないか、と心配する声です。実はそのような心配への回答はもう30年以上前に出ているのです。学問の世界では既に常識になってしまっているために改めてニュースになったりしないのですが、著者であるBruce N. Ames博士が昨年10月5日に95才で亡くなったとの知らせを受けて改めてここに紹介したいと思います。1990年に発表されたその論文のタイトルは「食事由来の農薬(99.99%オールナチュラル)」です。


Dietary pesticides (99.99% all natural)
B N Ames, M Profet, L S Gold
Proc Natl Acad Sci U S A. 1990 Oct;87(19):7777-81.
https://www.pnas.org/doi/epdf/10.1073/pnas.87.19.7777

この短い報告では、植物がカビや害虫や動物から自分の身を守るために作ると考えられている天然の毒素(天然農薬)と、主に化学合成されている農薬の有害影響の大きさ(リスク)を検討しています。例えばキャベツには少なくとも49の天然農薬とその代謝物が含まれています。有名なものにイソチオシアネート類やグルコシノレート類、シアン化物などがあります。アリルイソチオシアネートは雄ラットの膀胱にがんを誘発することがわかっていますし芳香族シアン化物は遺伝子に傷をつける作用があります。そしてそれらの濃度は残留農薬よりずっと多いのです。


アリルイソチオシアネートの一種であるシニグリンはキャベツでは35-590 ppm、芽キャベツだと110-1560 ppm、マスタードではなんと16,000-72,000ppmです。そうです、シニグリンはあのピリッとした刺激の原因になる物質なのです。ほかにも動物実験で発がん性が認められた天然化合物はD-リモネン、エストラゴール、サフロール、セサモールなど多数あります。これらが普通の食品に数十から数千ppmの濃度で含まれます。もちろんこれらすべてがヒトでも発がん性があると確認されているわけではありませんが、農薬の安全性試験において動物での発がん性は重要な評価項目ですのでそれと同じように考えると、ということです。普通の食事から、一人1日あたり約1.5gのこのような物質を摂取していると推定されています。一般的な農薬の残留基準(MRL)は数ppm、一律基準は0.01 ppmと定められていますから、「天然農薬」のほうが圧倒的に量が多いです。 残留農薬は定期的に国によって検査が行われていて、当時の米国ではPCBなどのその他汚染物質を含む約200の人工化学物質について検査が実施されていました。検査した全ての物質が検出可能な量含まれるわけではなく、105物質が検出され、それを合計すると平均一人1日当たり0.09 mgを摂取していると推定されたそうです。そして天然農薬一人1日約1.5g(1500mg)と比べて、私たちが食べている農薬成分のうち天然物が99.99%とこの報告では結論しているわけです。計算式は1500mg/1500.09mgで99.99400%。もちろんこれは相当粗い計算です。


でも私たちが毎日食べている化学物質のほとんどが天然由来で、それには安全性を確認されていない化合物が多数含まれること、それに比べると管理されている農薬残留物は量も少なく、無視できるほどリスクは小さいことは確かです。 一方で、「天然農薬」を多く含む野菜や果物を十分食べることが健康に必要であることもまたかなり信頼できる事実なのです。 つまり私たちは何らかの有害影響がある可能性のある物質を普通に食べて健康で長生きしているわけです。残留農薬はそのうちの無視できるほどのわずかでしかありません。 なお植物の中には本当に命にかかわるような毒素をもつ有毒植物も身近にあります。家庭菜園や山菜採りなどで間違って食べてしまう中毒事故が毎年報告されています。残留農薬よりそういう大きなリスクをきちんと認識しましょう。

執筆者
国立医薬品食品衛生研究所客員研究員畝山 智香子 氏

東北大学薬学部卒業。昭和63年、同大学院薬学研究科博士課程後期を修了(製薬科学専攻)。その後、国立衛生試験所(現・国立医薬品食品衛生研究所)安全性生物試験研究センター病理部に勤務。平成8年、東京大学薬学部にて薬学博士号を取得。平成22年、安全情報部第三室長、平成28年、安全情報部長に就任。その後、令和6年より公益社団法人日本食品衛生協会の学術顧問、国立医薬品衛生食品研究所の客員研究員、東京農業大学の客員教授、立命館大学BKC社システム研究機構の客員研究員を務めている。


現在「野良猫 食情報研究所」として情報提供中  https://foodnews.hatenadiary.com/

主な著書
ほんとうの「食の安全」を考える-ゼロリスクという幻想(DOJIN選書28)化学同人(2009)

「安全な食べもの」って何だろう? 放射線と食品のリスクを考える 日本評論社(2011)

健康食品」のことがよくわかる本 日本評論社(2016)

食品添加物はなぜ嫌われるのか-食品情報を「正しく」読み解くリテラシー(DOJIN選書83)化学同人(2020)

サプリメントの不都合な真実 ちくま新書 筑摩書房(2025)